「教団 X」
中村文則
集英社

2015.12.1
自分の元から去った女性を追って、公安に目を付けられていた「X」と呼ばれる宗教団体に潜入する。その教団では、信者を扇動し教祖を騙して教団を乗っ取り、世界を変える大掛かりなテロの計画がなされていた。

厚さから見れば570頁に及ぶ大作なのだが、物語に関係のない受け売りの話が延々と続き、緊迫感のない展開で締りのない物語。筆者は、後書で、「世界と人間を全体からとらえようとしながら、個々の人間の心理の奥の奥まで書く、現時点の僕の全て」と述べているが、全くもって一人相撲。読者を失うだけ。

ただ、その受け売りの話は、大変深遠な、考えさせられる点が多いのは事実。

西洋哲学は「我思う、ゆえに我あり」。反面、仏陀は全く逆に、「<われは考えて、有る>と云う<迷わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ」と、我思うなと説いている。全ての欲望をなくし、その感覚も消滅させ、何かを識別する事も消滅させた絶対的境地が、涅槃で、無である。自分が無である事も認識していない窮極の状態が「解脱」。 

仏陀の悟りの内容、仏教の出発点は、種々に異なって伝えられてしまった。仏教そのものは特定の教義と云うものがない。

意識「私」によって、脳に何らかの因果作用を働きかける事はできない。意識「私」は、自分がやる事も、何かを思う事も決定していない。認識できない領域、つまり脳の決定を遅れてなぞってるだけ。意識「私」は、本当は実体のないもの。

人は、「入れ替わりながら固まりが維持されている原子のゆるやかな結合体」。「身体は全部常に入れ替わっているのに「自分」と云うものがあるのだと思いこんでいる結合体」。

宇宙は約137億年前に誕生し、10次元空間の中を漂っている、等など大変興味深い事を教えてくれる事は事実。    
「ボラード病」
吉村萬壱
文藝春秋

2015.12.7
30歳を越えた今、母に鬼のように厳しく躾けられた,、母一人娘一人だった小学生五年生当時の生活をを振り返る。

ボラードとは、繋留ロープで船を繋ぎ止めておく繋留柱の事。我々は、何か確かなものに繋がれ結びつきあい安寧を得たいものなのか。

「人間の意識は実に不思議。周りの人間の言動次第で見えるものも見えなくなる。三角の物でも周りの人が一人残らず丸と言と言えば、それは丸。それが人間。きっと本当の世界なんて、誰も知り得ない。自分たちがこうと決めた世界から誰も出られない。でっちあげられた嘘に作られた世界の外に出られない。本質は皆囚人。命綱でガチガチに縛られて生き続けなくてはいけないのか。」と疑問を投げかけられる。

「私はナニモノなのか」。「この世界はナンなのか」という根本的な問題を問う骨太の物語。
「土の中の子供」
中村文則
新潮社

2015.12.14
2005年芥川賞受賞作品。親から捨てられ遠い親戚に引き取られるが、殴られ蹴られると云う暴力の中で育った男。恐怖に乱され続けた事で、恐怖が体に沁みつき、恐怖が身体を侵食し、自ら恐怖を求める程、病に蝕まれてしまった男の物語。

作者は、後書で「世界の成り立ちや人間を深く掘り下げたい」と述べているが、その思いは伝わって来ない。何が言いたいのか全く分からない。芥川賞ね。
「掏模」(すり)
中村文則
河出書房

2015.12.23
2010年大江健三郎賞受賞作品。掏模という特技を持った男が闇の世界に捲き込まれ、仕事を引き受けなければ親しくしている親子を殺すと脅迫される。他人に生き方を制約された人の物語。

このまま物語が進めば面白いのだろうが、他人の人生を支配する、人に人生を支配されると云うややこしい事が出てきて理解不能になった。

作者は、本作品につき「完全にのめり込んで書いたことをよく覚えています。小説に自分が奪われる感覚がありました」と述べているが、この人は全くの独りよがり。いや、待てよ。私の方が独りよがりなのかもしれない。

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読書ノート

(本タイトルのフォント青色の書籍が、もう一度読みたい本

2015.12月